「桜田門外の変」練習会報告
「桜田門外の変」練習会に参加された会員の方々お疲れ様でした。当日は晴天にも恵まれ、体験参加の方も3名見え、総勢18名の賑わいでした。かっての品走の賑わいが戻ったようで、代表もご満悦でした。
大老井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」。今回は暗殺者の浪士達が歩いた品川宿から桜田門までのルートを走りました。
一心寺
井伊直弼が開基と言われる、真言宗智山派の寺院です。直弼が安政2年(1855年)に、品川宿町民の安寧・鎮護、日本の開国条約を祈って開基となり、町の有志の手で建立されました。
土蔵相模の跡
浪士達が桜田門外の変前日に決別の縁を張った場所、相模屋。建物がナマコ塀で覆われていたことから土蔵相模と呼ばれました。
相模相模は現在の旧東海道、ファミリーマート地点にありました。
高輪の大木戸跡
浪士達が集合地点の愛宕山へ向かう途中、ここ大木戸を通りました。木戸は江戸の治安を守るために、石垣を築き柵と門を設置した、東海道の両端に設けられた簡易な関所です。各町にある町木戸に対し、江戸全体を守る木戸という事で大木戸と言われました。幕末には形骸化してしまって通行は自由でした。
札の辻
浪士達にならい我々ももこの分かれ道を左に取って愛宕山へ向かいます。札の辻とは江戸時代、人の行ききの多い場所に高札を立てた場所を示します。
中ノ橋
綱坂、神明坂を通って、中ノ橋を渡り、愛宕山へ向かいます。この橋はヒュースケンが暗殺された場所としても有名です。彼の墓は、南麻布の光林寺に有ります。ヒュースケンはアメリカ総領事ハリスの通訳として日米修好通商条約の通訳を行った人です。
愛宕山
浪士達の最終集合場所。山頂には、櫻田烈士愛宕山遺跡碑が有ります。又、ここは三代将軍家光の命を受けた真垣平九郎が騎馬でこの階段を駆け上がり、山頂の梅を取ってきた事で出世を果たした逸話がある、出世階段としても知られています。更に勝海舟と西郷隆盛がこの山頂に登り江戸の町を見渡して江戸無血開城を決めたと言う故事も有ります。
井伊直弼館跡
井伊直弼館は元々、加藤清正の屋敷でした。加藤清正の2代、忠広の時に改易になり、伊井家が引き継ぎました。直弼は桜田門までのわずか550mの道中で襲撃されました。
井伊直弼の館は現在の憲政記念館一帯にありました。
桜田門
今回の最終地点、ゴールです。事件は桜田門の外、今の警視庁の辺りで起きたと言われています。
その後、銀座で入浴後、有志で水分補給を行い、解散しました。
【おまけ】
ぶらタモリで紹介された日本水準原点が井伊直弼館跡近くにあったので寄り道しました。
日本水準原点の他にも「櫻の井」「電子基準点」等、見所満載でした。