赤穂浪士の歩いた道 練習会
赤穂浪士の歩いた道(両国→品川)参加の皆様おつかれさまでした。
今回は練習会後に忘年会を予定していた為か、集合場所の両国駅にいつもより少し多めの8名+ガイド兼写真担当のhiroさんが自転車で集合しました。
コースは赤穂浪士四十七士が討ち入りをした吉良邸から主君浅野内匠頭と47士が眠る泉岳寺まで、赤穂浪士ゆかりの地を巡りながらの観光ラン約13キロです。
足を止める場所が多く13キロと少し長めの距離をリュックを背負って走るのと練習会後に忘年会があるので、いつもより集合時間を早めにしましたが、遅れる人もなく(幹事が一番遅くてすみません(-_-;))皆さん忘年会に向けて気合が入っていたようです。
先ずは回向院隣の広場にて準備体操。日は差しているものの北風が強いので念入りに。
回向院は当初討ち入り後の引き揚げ予定地でしたが、回向院は門を開けずに拒否をしたので、ゆかりの地ではないのですが、有名な鼠小僧次郎吉のお墓や力塚があるので立ち寄りました。
それではゆかりの地巡り本所松坂町編(本所松坂町は当時の地名です)
吉良邸裏門跡…前原伊助宅跡…吉良邸表門跡…吉良邸跡…両国橋
裏門から24人、表門からは23人で討ち入り
吉良邸近くには浪士の一人、前原伊助が住んでいて吉良邸を見張っていたとか、いないとか…
吉良邸跡、現在は本所松坂公園になっています。
当時の吉良邸は屋敷面積2,550坪もあったそうで、公園は当時の76分の1の広さで整備されていました。
回向院に入場を拒否された47士は両国橋東詰の広小路に集合、ここから泉岳寺を目指しました。
両国橋には浪士の一人、大高源吾の句碑がありました。
「日の恩や たちまち砕く 厚氷り」
討ち入り前日の13日は当時江戸では大掃除の慣わしがあり、大高源吾は箒売りの姿で吉良邸を見張っていて、その時に読んだ句だそうです。
本所松坂町から私達も泉岳寺に向けてスタート。
両国橋・・・永代橋・・・築地・・・新橋・・・泉岳寺
でも、ちょこっと寄り道、両国橋の近くに春日野部屋がありました。立派なマンションです。
芭蕉稲荷の隣の道は赤穂浪士ゆかりの道と案内がありました。
47士は永代橋近くの乳熊屋で休息、甘酒粥をいただいたそうです。
私達も同じ場所で休憩、討ち入りの翌日ということでちくま味噌さんが甘酒を振る舞ってくれていました。とてもおいしかったので何人か購入していました。kita-sanはみそかりんとうを購入して御馳走してくれました。
浅野内匠頭屋敷跡
築地本願寺には間新六のお墓がありました。間新六の亡骸を親類の方が引き取り築地本願寺に埋葬したそうです。
浅野内匠頭が切腹をした場所。
近くの新生堂さんの切腹最中を楽しみにしていたのですが、混んでいて買えませんでした。
ゆかりの地巡り泉岳寺編
細川家屋敷跡…泉岳寺
大石内蔵助他17士は細川家に預けられ、ここで切腹をしました。
門の前にはこんなお供えもありました。
毎年12月14日に泉岳寺では赤穂義士祭が行われているそうです。浅野内匠頭と47士のお墓はいつもよりたくさんのお花が供えられていました。
浅野内匠頭の屋敷から移築した門がお墓の入り口にありました。
あちらこちら見学しながら約3時間でゴール。47士も3時間弱で歩いたそうですが、2時間の戦闘後、12Kgの武具を身につけ雪解け道(前日雪が降ったそうです)を歩いたと言うことなので、私たちが観光気分で走るのとは根幹が違うと思いました。
このあと新馬場の天神湯で汗を流して北品川の栄華楼新館で忘年会。忘年会からの参加者3名が加わり、食べて飲んで楽しい忘年会でした。
おまけ 今話題の「高輪ゲートウェイ」だいぶ工事が進んでいるようです。
22日の代々木公園周辺の練習会が雨のため中止となり、今回の練習会が2018年最後の練習会となりました。
皆様一年間おつかれさまでした。来年もどうぞ宜しくお願いします。
赤穂浪士が歩いた道ラン練習会に参加されたみなさんお疲れさまでした。
今年は暖冬と言われていたと思うのですが、集合場所では北風ヒューヒューとても寒かったのですが、走ってるうちに暖かくになって走りやすかったですね。
赤穂浪士ラン~、私が初めて参加した時は、あまりよく分からなかったのですが、
何回か開催して頂いたおかげで忠臣蔵の魅力が、奥深さがだんだん分かってきました。
日本の歴史を肌で感じることができるまさに修学コースです。
2019はこのコースは無いようですが、また開催してくださいね!
ムービー撮りましたので、どうぞ♪
いっちゃん、ムービーアップありがとう!
編集お疲れ様です。
毎回いい動画で感謝しています。
「赤穂浪士練習会&忘年会」参加の皆さま、お疲れ様でした。
来年もよろしくお願いいたします。