池袋コース(池袋駅⇒飯田橋駅)練習会

池袋コース(池袋駅⇒飯田橋駅)練習会参加の皆様お疲れ様でした。

当初の予定ではゴールは「神保町駅」でしたが、幹事の仕事の関係で一か月前に日曜日に練習会を変更していました。

神保町駅の銭湯は日曜が定休日だったことをすっかり忘れていて、練習会当日の朝に気づき、あわててゴールを「飯田橋駅」に変更してしまい、一部の参加者にご迷惑をお掛けしたことをお詫びもうしあげます。

 

 

今回の集合場所はJR池袋駅東口。休日の午後とあって、人でごった返していて待ち合わせ場所にはとても不向きな場所だと痛感させられました。池袋の東口は西武池袋線の東口もあり、慣れない方には分かりにくい場所でもありました。

 

 

とてもじゃないけど、駅前で準備体操は無理なので、徒歩数分のところにある「南池袋公園」へ移動し、準備体操を済ませ、スタートとなりました。公園の中央には芝生の広場がありますが、ここは外国人ファミリーで埋め尽くされ、外国に来ているような雰囲気でもあり、今の日本の現状を感じる場面でもありました。

 

 

最初の立ち寄りは「鬼子母神」。ここは品走でも数回訪れていますね。

 

 

次の立ち寄り所「雑司ヶ谷墓地」を目指し走ります。東京唯一の路面電車。この辺ではおなじみの風景です。

 

 

次の立ち寄りは「雑司ヶ谷墓地」にある「夏目漱石の墓所」です。この「雑司ヶ谷墓地」ですが「青山霊園」と同じく都営ですが、ちょっと違った感じがあります。

 

お次の立ち寄り所は「護国寺」です。本堂の中に入り立派な天井絵を拝見しました。

 

護国寺の入口付近には「音羽富士」なるものがありました。母校が護国寺の隣、祖父・祖母のお墓は護国寺にあり、何度も訪れている場所なのにまったく知りませんでした。

 

自分が通っているときから、まったく様変わりしていた母校です。こちらは校舎裏側ですが、裏から見ても学校というよりは会社。表から見ると一段と会社感がにじみ出ています。

 

お次の立ち寄り所は「伝通院」。ここも品走で来たことのあるお寺さんですね。

 

家康の生母のお墓があり、法名「伝通院殿」ちなんで院号を伝通院としたそうです。

 

次の立ち寄りは、源覚寺「こんにゃく閻魔」。

こんにゃく閻魔の言い伝えによると、

宝暦年代のころ(1751年〜1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。
満願の日に、老婆の目は治りました。以来、大王の右目は盲目となりました。老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。

源覚寺サイトに書いてありました。

 

次の立ち寄りは「鐙坂」途中にある「金田一京助・春彦の旧居跡」。写真の木造の家です。

 

 

お次は「鐙坂」と平行に走っている「菊坂」途中にある「樋口一葉旧居跡」。

こちらは「樋口一葉」が使っていたとされる井戸。

 

 

最後の立ち寄り所「湯島天満宮」に到着しました。ここも品走で何度も訪れている場所ですね。

 

「感謝祭寄席」が終わった直後のようで、境内はサインをする落語家さんや物品販売する落語家さんでにぎわっていました。「1つ128円のペヤングソース焼きそばを500円で販売しています」と落語家さんが言いながら売っていたのが洒落が効いていて面白かったです。

 

 

本来のコースなら湯島天神のあと、ゴールの「神保町駅」でしたが、急きょゴールを「飯田橋駅」に変更したので、外堀通りで飯田橋駅を目指し、ひた走ります。

 

ゴールの飯田橋駅に無事到着し、神楽坂にある昔ながらの「熱海湯」で汗を流し、水分補給に向かいました。

 

今回の水分補給は、外観は料亭ですが、中は青山でおなじみの「うどん中西」系の「竹子」でした。しんちゃんが神楽坂にも「中西系」があったと思うといって探してくれました。

たぶん昔は料亭だったのでしょうが、居ぬきで中西が経営していると思われます。もちろんお値段はリーズナブル。神楽坂に行った際には、是非おすすめします。

参加のみなさまお疲れ様でした。

 

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